田臥勇太の凄さとは?高校時代3冠に日本人初のNBA選手とは?

スポーツ選手

田臥勇太選手ってレジェンド知ってる?

何が凄いのか分からないよ

どう凄いのか教えて

では、田臥勇太選手の若いころから現在までの凄さを追っていきましょう

田臥勇太選手は今季も宇都宮ブレックスに在籍します。

レジェンドと呼ばれるくらいなので結構年齢がいっています。

いつ引退かと囁かれることもしばしば…。

せっかくなので田臥勇太選手の凄さを知りたい。

田臥勇太選手について

  • 田臥勇太凄さとは
  • 田臥勇太の凄い記録①高校3冠×3年
  • 田臥勇太の凄い記録②日本人初のNBA選手
  • 田臥勇太宇都宮ブレックスでの歩み

をまとめてみました。

田臥勇太の凄さとは?

田臥勇太選手の凄さ「バスケへの思い」の深さです。

調べれば調べるほど、まとめようとすればするほどこれしか考えられません。

周りから何を言われても「バスケ愛」一筋だったのです。

田臥勇太選手の凄さ①いくつになっても練習には本気

田臥勇太選手、42歳になった現在でも練習開始の1時間半前には自分でアップしてコンディションを整えているのは有名な話です。

身体が堅いのでヨガを取り入れている話もちらほら聞こえてきます。

練習にも真面目に取り組む姿勢が、試合や日々の生活に活きています。

日々の練習に気持ちを込めて継続していることが田臥勇太選手の凄さです。

田臥勇太選手の凄さ②仲間を活かすことを考えている

田臥勇太選手のポジションはポイントガードです。

とはいえ高校時代のプレースタイルは、自分から切り込んでいくことも多い点取り屋といったイメージがあります。

どちらかというとシューティングガードみたいな感じでしょうか。

これは、高校1・2年生時のイメージが大きすぎて点取り屋と言われたのかも知れません。

1学年上の先輩畑山さんや小嶋さんが卒業し、自分たち3年生の代でより周りの仲間を活かすガードとしての役割を自覚していったのではないかと思います。

常に仲間を活かすプレーができるということは仲間をそれだけ見ていないとできないことでもあると思います。

これまでの経験は現在のプレーにつながっています。

田臥勇太選手の凄さは、現在も仲間を活かし続けているところです。

田臥勇太選手の凄さ③チャレンジし続けている事

田臥勇太選手は高校時代に海外へ、NBAへと挑戦し常にチャレンジし続けてきました。

多分ファンの皆さんは、田臥勇太選手を見続けるのを楽しみにしているのではないのでしょうか?

腰や足の怪我を経てなおもどれだけ自分を超えられるのかチャレンジしていると聞きます。

その前向きな姿勢がファンの皆さんを魅了し続けているのですね。

田臥勇太選手の凄さは、常に前を向いてチャレンジし続けているところです。

田臥勇太の凄い記録①高校3冠×3年の9冠を達成

田臥勇太選手の凄さがわかる記録といえば能代工業高校時代に3冠を3年で9冠を達成したことです。

この記録を達成したのは、田臥勇太選手が能代工業高校在籍時です。

現在までこの記録9冠を達成したのは、当時田臥勇太選手と同級生だった菊池勇樹さんと若月徹さんだけです。

9冠から四半世紀が過ぎようとしていますが、多分今後も破られることはない記録でしょう。

能代高校3年間はずっとスタメン&ベスト5

田臥勇太選手は能代工業高校に入学してすぐにレギュラーとなり、スタメン入りしました。

公式戦ではたった1回しか負けたことがないというのも凄いですね。

まず能代工業高校で1年生からレギュラーをとったというだけでもその凄さが分かります。

そして田臥勇太選手はウィンターカップ男子ベスト5に3年連続選出されています。

3年連続は田臥勇太選手と八村塁選手2人しかいません。

 

となると、どれだけ八村塁選手も凄かったのでしょうね。

高校時代から世界へ

田臥勇太選手は、高校時代に全日本の代表候補にも選ばれているんですね。

大学在学時は結構いますが、高校在学時は史上2人目だそうです。

では誰が1人目だったのかしら?と思い調べてみましたが分かりませんでした。

また世界ジュニア選抜のメンバーにも選出されています。

日本人初のナイキフープサミットに世界代表として出場しています。

 

田臥勇太選手は、早くから世界へ目が向く機会がありました。

世界の凄さを目の当たりにしたことで今後進む道が見えてきたことは、やっぱり持っている人だったのでしょう。

田臥勇太の凄い記録②日本人初のNBA選手

田臥勇太選手は大学を中退し社会人リーグで1年間プレー、新人王を獲得しました。

NBAでプレーする夢を追って、一人アメリカに旅立ちます

当時は、アメリカだけでなく海外なども夢のまた夢、前例やつながりなどもない状態です。

大学のツテなどを頼ってNBAのコートでプレイするために日々練習し続けました。

田臥勇太選手が日本人には無理と言われたNBAのコートに立ったのは、2004年のことです。

NBAフェニックス・サンズで開幕戦を含む4試合に出場し7得点3アシストをあげました

NBAでプレーした日本人選手はまだたった3人です。

当時NBAへの道も開かれていないなか、たった一人で挑戦し続けた田臥勇太選手。

NBAでは173㎝とサイズが無い事と得点力が無い、アピール度が低いような感じで評価が低かったようです。

いかにNBAへの道のりが険しいものであったか…。

諦めずに挑戦をし続けた精神力凄さに驚嘆です。

田臥勇太宇都宮ブレックスでの歩み

田臥勇太選手は、2008年からリンク栃木ブレックス(現宇都宮ブレックス)で国内プレー復帰をしながらNBAへ挑戦するという形をとりました。

当時はリンク栃木ブレックス創設2年目、JBLへ昇格した年に元能代工業高校のヘッドコーチ(HC)であった加藤三彦さんのもとに来たとあって話題にもなりました。

田臥勇太選手にずっと声をかけ続けていたのは、たまたまといっていいのか…リンク栃木ブレックスだけだったそうなのです。

きっと代表選手も断って海外挑戦していた田臥勇太選手なので、日本復帰はまだまだと思われていたのでしょうね。

宇都宮ブレックスは竹内公輔選手や比江島慎選手なども海外挑戦しており、選手の希望も後押ししてくれる印象があります。

そんな会社の気持ちを受けての海外挑戦。

海外挑戦後は会社のために頑張ろうという気持ちにもなるかと思います。

ブレックスに在籍が長い選手が多いのも何となくわかる気がしますね。

 

そして、JBL時代を含めるとブレックスは優勝3回

その優勝に田臥勇太選手がコート内外で大きく関わっていることは、広く知られていることですね。

田臥勇太怪我からの復帰

田臥勇太選手は、2019年に左膝半月板損傷を負う怪我のため手術し約3か月戦線を離脱しました。

前年も腰痛に苦しめられています。

身体の不調はどうしても出てくるものなのですが、そこでもあきらめないのはやはり田臥勇太選手の凄さです。

コートに復帰してからは、自分の今の身体でどう動けばチームの勝利に貢献できるかを一番に考えてプレーしているのです。

怪我から復帰後もコロナ禍で練習、試合すらままならなくなったときも気持ちを切らさずにプレーすることだけを考えているのは本当に凄いです。

田臥勇太連覇へ挑む

Bリーグが発足してから宇都宮ブレックスはリーグ初年度、2021-22シーズン優勝を勝ち取りました。

2022-23シーズンは昨年度優勝からの連覇を狙います。

田臥勇太選手は一番最後の契約更改、ファンの皆さんをヤキモキさせながらもキャプテンを担っています

今シーズンは、宇都宮ブレックス3勝6敗と負け先行が続いています。

田臥勇太選手はそんな中でも最後まで仲間と共に前を向いて戦い続けるブレックスメンタリティを見せてくれました。

点数が入らないなかでもコートのなかでは、前を向いていました。

勝つのも負けるのもチームで。

チームのために連覇へ挑む田臥勇太キャプテンは、仲間とファンのために前を向いて戦ってくれました。

久しぶりに出場した試合でしたが、存在感が際立っていました

やはり田臥勇太選手は凄いな…と思わされた試合です。

 

今シーズンも怪我なく調子を上げて頑張ってほしいですね。

田臥勇太の凄さとは?高校時代冠に日本人初のNBA選手とは?まとめ

田臥勇太選手の凄さについて、

  • 田臥勇太凄さは、バスケへの思いの深さである
  • 田臥勇太凄さは練習にも常に気持ちを込めているところ
  • 田臥勇太凄さ仲間を活かすプレーを考えていること
  • 田臥勇太凄さは常にチャレンジし続けていること
  • 田臥勇太能代工業高校時代は高校9冠達成
  • 田臥勇太はウインターカップベスト5に3年連続選出
  • 田臥勇太日本人初のNBA選手
  • 田臥勇太は宇都宮ブレックスで初年度、2021-22シーズン優勝し今シーズン連覇に挑む

をまとめました。

田臥勇太選手の高校時代やNBAという括りではなく、精神力の凄さをみたいと思わせてくれます。

引退も囁かれるレジェンドですが、プレーする姿を少しでも焼き付けておきたいです。

 

最後まで読んでくださりありがとうございました。

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